くるぶし ※モブ目線 おまえは、うやうやしく持ち上げられる白いくるぶしを見たことがあるか。 普段はしかめつらしく振る舞って、最低限しか肌を晒すことのない麗人の、ひらりと舞って男を誘うくるぶしを。 ──違う違う。誘惑の相手はオレじゃあないさ。高嶺の花は路傍の石を愛でたりしない。ただ、石だからこそ手のひらで転がしてはいただけた。 オレはなによりあの方の、すらりと魅せつけておきながら隠れんぼしてる脚が好きでさ。裾をめくって、靴下を脱がせて、裸んぼのおみ足を一目見られたらと夢想するほど……。まあ、だから、衝撃的だったわけよ。 あの方の脚は拝むことができたけど、なまじ見ることができたばかりに、目に焼き付いて離れない。一度だって味わえず、二度と見ることもできやしない、こうも残酷な仕打ちがあるか。 ちくしょう、オレがもっと見目よく才もあったなら、あのくるぶしをものにできたのかなあ。 ……気になるか? 高貴なるお方の爛れた情事、聞きたいか? へへっ。そうこなくっちゃなあ。 潜伏任務中、近くの屋敷にあの方が逗留なさるってんで、こりゃあとびきり運がいい、お顔だけでも拝めれば、いいやあわよくばお褒め頂きたい、なんて下心を抱えてご報告に上がったんだよ。そうしたら、いたのさあの人も。あの方と夜中に二人っきりで。誰ってそりゃ、尊いお方に触れることを許された男といやあ、わかるだろ。あの人さ。 そう急くなって。あのおみ足に手の届かない者同士、よぅく語ってしんぜよう。宵の肴にでも夜のオカズにでもするがいい……。 ***** 月の明るい夜だった。町外れに佇む屋敷は閑寂として、赤松林の影に荘厳な姿を忍ばせていた。 オレは堅苦しい数奇屋門をくぐり抜け、長廊下を急いでいた。床板の軋みは背後の薄闇に吸い込まれていき、足裏を季節外れの冷気がなめた。 火急の用であれば遠慮は無用と聞いてはいたが、プライベートな空間を侵しているという実感が不安を掻き立てて、同時に胸を高鳴らせた。前のめりな気持ちを追って足を動かし、ようやく辿り着いた最奥の部屋の前で、深呼吸をひとつ。就寝されているかもしれないと案じていたが、どうやら杞憂だったようだ。ひたと閉められた障子の格子からは灯りが漏れて、足元に優しく落ちていた。 一枚隔てたあちら側に、リーダー……マツブサ様がいらっしゃる。きっと無防備にくつろぐ彼は、少しの驚きとともに、優しくオレを出迎えてくださるはずだ。 緊張を期待と興奮が上回り、騒ぎ立てる鼓動をおさえてこぼした声は上ずった。 「夜分に失礼します。リーダー、少々よろしいでしょうか」 障子の向こうで、人の動く気配があった。 高鳴る心音が障子紙を突き破りそうな気がした。そうして数秒、十数秒、いくら待ったかわからない。 「こんな夜更けに何の用だ」 「……!」 くぐもった声が響いた。明らかにリーダーとは別の男の、冷淡で不機嫌そうな低い声。ここはリーダーの屋敷のはずだ。困惑し、返答に窮していると、障子がざっと開いて大きな人影が現れた。 「っ……ホムラ隊長!?」 動転し、敬礼も忘れて仰ぎ見る。 紫色の髪、凛々しい垂れ目、獣のように引き締まった身体。リーダー同様滅多とお目にかかれぬ雲の上のお方だが、こうも印象的な行動隊長その人を見紛うはずはない。 ご挨拶をしなければ、と唇を開きかけて、彼の格好にぎょっとして後ずさった。はだけたというより、かろうじて身にまとったという様相の浴衣姿で、雄々しく匂い立つ胸板がさらけ出されている。目をそらすこともかなわず見つめる先で、盛り上がった筋肉を汗が伝った。唇が震える。縦框に寄りかかって腕を組みこちらを見下ろす立ち姿は、傲慢なまでに美しかった。 「用件は」 「あっ、り、リーダーにご報告がありまして……」 「マツブサ様はお休みになられている。報告があるなら私に」 底冷えのする美貌が顎を上げる。否が応でも意識させられる体格差、威圧的な態度に、身も心もすくみあがった。こんな深夜に何故リーダーの私室に、と疑問を呈することはおろか、逃げを打つことすら許されない物々しさだ。 ……だというのに、オレときたら取り繕うこともできずに、震える舌に正直な欲望をのせてしまった。 「う、その、できれば直接リーダーのお耳に入れたく……」 「私には聞かせられない『報告』か? 面白い冗談だ」 くっと口端が上げられた。いよいよ縮み上がったオレの頭上へ、しなやかな上体が覆いかぶさるように伸ばされた。 「とっとと失せろ」 苛烈な瞳に射抜かれて、ぐうと喉から恐怖が漏れた。がくがくと頷いて踵を返そうとした瞬間、隊長の背後から生白い腕がにゅるりと伸びてきたのを見て飛び上がった。 ──悲鳴すら出なかった。シミひとつない白蛇のような腕。隊長の脇腹に巻き付いた幽艶な細指が、男の肌をなよやかに伝っていって、むき出しの胸板にするりととまった。おどろおどろしい腕に絡みつかれながらも、隊長はまるで動じていない。眼光鋭くオレを睨んだまま立っている。 生気の感じられない手が、ぽん、と窘めるように厚い胸を叩いた。 「こらホムラ。あまりしたっぱ君をいじめるんじゃない」 「はっ。申し訳ありません」 「あっ! りっ、り、リーダー……!?」 居住まいを正して振り向いた隊長の肩越しに、リーダーの微笑が覗いた。幽霊と見紛うのも無理のないほど、生活感の浮かばぬ白肌だ。ほっと息をつく。しかし、隊長の眉間の皺に気圧されて、安堵の気持ちは引っ込んだ。 緊張に手汗がにじむ。どうしてお二人が揃っているのだろう。今すぐ引き返せと、脳内でけたたましく警鐘が鳴りだした。 「報告があると言ったね。おいで。聞かせてもらおうじゃないか」 「う、はっ、はい……」 直々にお声がけいただいてしまっては、固辞できようはずもない。 こちらを手招いたリーダーが、小鳥が羽を休めるような気軽さで、隊長の首根っこに細顎を寄せた。隆々と盛り上がった男の肌に華奢なおとがいがぺとりとくっつき、美しいかんばせが白百合のような笑みを浮かべた。 口を開けて立ち尽くす自分をよそに、あるじの媚態を当然のように享受した隊長が、柳腰に手をまわして部屋の中に引っ込んだ。伴われた痩躯も浴衣を身に着けている。それもまた着崩れていて、貴婦人をエスコートするような恭しさも、そろいの乱れた浴衣姿とくれば淫猥な仕草に見えた。 ──ホムラ隊長はリーダーのご寵愛を受けている。いくらでも替えのきく我々と違って、格別有能な偉丈夫は可愛がられて当然だ。 それでも、それにしたって、さすがにこれは。 頭を振る。詮索する気持ちを唾ごと飲み下し、ええいままよと敷居をまたいだ。 「散らかっているが気にするな。ホムラと一杯やっていたのだ」 「は、い、いえ……。し、失礼いたします」 広々として品の良い和室だった。向かいの障子は開け放たれており、月を載せる薄雲に抱かれたえんとつやま、そこからなだらかに続く庭園の眺望も見事なものだったが、それよりも部屋の中央に敷かれた一組の布団が激しく目を引いた。 くしゃりとめくられた掛け布団、気怠げな皺を寄せた敷布団、そして、脇に転がった二つの枕……。夜の名残が色濃く立ち込めるそこからとっさに視線を逸らしたものの、生々しい光景は脳裏にこびりついてしまった。 そわそわと尻込みしながら、勧められるまま奥のテーブルにつく。椅子は2つきり、見回せば柱にもたれ掛かる冷ややかな面持ちの隊長と目があって、慌てて視線を伏せた。 ちょんとすねに刺激を感じた。見下ろすと、桜色の爪をのせた爪先がオレを戯れに突っついていた。真白い裸足……、リーダーの素足。瞠目し、生唾を飲む。 すべらかな足の甲、ぷくりと愛らしい血管をのせたくるぶし、ほっそりと美しい足首。一連の完璧な調和に見惚れていたら、もったいぶったように脚が持ち上げられて、すらりとしたふくらはぎが大胆に浴衣の裾からお目見えした。しらじらとしてきめ細やかな、麗しいおみ足。息を乱して食い入るように見つめていたら、組まれた足先がそっぽを向いた。 熱に浮かされた視線を上げる。脚の持ち主は頬杖をつき、蠱惑的な微笑みを浮かべてこちらを見ていた。不躾に見過ぎたことを咎めるでもなく、己の脚が視姦されるのを面白がっているかのように。 そしてまた、オレのすねをちょいと蹴った。マッチ棒のように、やわらかい裸の指の腹が男の芯を擦って火をつけたのだと思った。リーダーの背後に立ち控える隊長のくちびるが、恐ろしげな弧を描いた。 背筋が凍った。 向かいの柔和なくちびるが開かれた。 「それで」 「……あ、は、はっ! ええと。ご、ご報告します。ソライシの動向ですが、奴に仕掛けた盗聴器から言質をとりました。本日落下した隕石を採取するため、明後日の朝えんとつやまに向かうようです。い、急ぎご報告をと思い、馳せ参じました」 「ほう。隕石の存在は確かか」 「は、はい。奴は探知機で大まかな場所も把握しているようです」 「よく知らせてくれた。助かるよ」 「……! はっ、あ、ありがとうございます……!」 おひさまみたいに優しい笑顔だった。天にも昇る心地になれればよかったが、上機嫌な上司の背後から漂う不穏な気配に肝が冷えた。全身から脂汗がにじみ出る。 早急に辞そうとする心算をよそに、リーダーがついと顎を上げ、隊長が机上の瓶とグラスを手にとった。ラベルに木の実の絵が描かれた瓶がゆっくりと傾けられる。隊長に酌をさせるなど、と腰を上げたオレをリーダーの片手が制した。その柔らかな指の腹、手のひらには、ほのかに赤みがさしている。 背筋を正し、細面に視線を這わす。血の気のないように思えたが、明かりのもと改めて観察すれば、目元や頬は紅潮し、うなじなんて湯上がりのようにつやつやと火照ってさえいた。憧れのリーダーの汗ばむ素肌を目の当たりにして、まるで情事の余韻じゃないか、と下腹をくすぐった下品な考えはすぐに打ち消した。酒精に赤らんでいるだけに違いない。着衣の乱れも一組の布団も、そもそも隊長が同席していることだって、深く考えてはいけないことだ。 芳醇な香りが鼻腔をくすぐった。隊長の大きな手が無言でグラスを差し出していた。蔑むような凍てつく視線に耐えかねて、受け取る両手も感謝の言葉も惨めに震えた。 「ふふ、ナゾの実のワインだよ。晩酌でこいつをやるとぐっすり眠れる」 「は、はっ……。で、では、遠慮無く。いっ……いただきます」 「よく味わうといい。とっておきだからね」 冷たいガラスの縁に口をつける。たゆたう水面に舌先が触れても、のんきに一献とはいかなかった。向かい合う切れ長の目が、傍に控える隊長のおもてをとらえた。 「それにしても、えんとつやまか。思い出すなあ。いっとうかわいいグラエナを手に入れた日のことを……。ふ、お手製のひみつきちなんて慣れぬものを作った。まだ残っているかな」 「は、またいつかご招待いただけますか」 「もちろん。かわいいかわいいグラエナの凱旋だ」 たおやかな指が持ち上げられて、身を寄せる隊長の腹のくぼみをつうとなぞった。ころころと愛らしい笑い声が鼓膜を撫でる。生きた心地がしなかった。恐る恐る窺うと、精悍なおもてにどろりと愛を垂らしたまなこが、熱っぽくリーダーのかんばせを見つめていた。 ──アクア団の奴らが隊長を『マツブサの忠犬』と嘲るのを聞いたことがある。なにを馬鹿なと聞き流していたが、今ならわかる。これは正しく忠犬だ。ポチエナやグラエナなんて可愛いものじゃない。獰猛で、牙に劣らず鋭い瞳をギラギラと輝かせ、大きく膨らむ身体をあるじにひたと擦り寄せて、「待て」が解かれるのを今か今かと待つ獣だ。 オレは、そんな恐ろしい忠犬がよだれを垂らして辛抱している目の前で、いたずらな裸足が仕掛けたちょっかいを、鼻の下を伸ばして受けとめた。そして、現在進行形で、あるじの笑顔を享受している。 喉奥へ一気に滑らせた酒は、まるで味がしなかった。血の気が引いて、震えながら置いたグラスが神経質な音を立てた。 「ソライシに隕石を拾わせたら直ちに奪取しなさい。手荒なことをしても構わん。そのまま現地でボルケーノシステムを試してやろうじゃないか。アクア団の妨害があるやもしれぬから、ホムラ、お前が指揮をとってあげなさい」 「は。必ずや最良の結果を捧げます」 隊長が恭しく頭を垂れる。慌てて追従し、「そっ、そろそろ失礼します、ごちそうさまでしたッ」と立ち上がりざまテーブルに腿をぶつけたが、もはやかまってはいられなかった。きょとんと瞬いたリーダーが「そうか。ご苦労だった」と言い終わるのを待たずに、ざりざりと畳の上を滑るように退室した。 凭れるようにして障子を開き、おぼつかない足取りで数歩進んだところで、障子を閉め忘れたことに気がついた。動悸がする。引き返そうにも、この身はすでに彼らの密やかな空間からぷつりと途切れて、薄闇にぽつねんと包まれている。 影が縫われて動けやしない。振り返ることがどうにも怖くて、ただ呼気を乱していたら。 「ん……いい子で待てたな。おいでホムラ」 「マツブサ様……」 ……蜜のようにとろけた応酬が背筋を舐めた。 視界が揺れる。振り返ってはならない。ただちにここを立ち去らなければ。心臓がばくばくと暴れている。けれど、男を惹き寄せる甘い蜜に抗えるはずもなく、緩慢に振り返った。振り返ってしまった。 ──あちら側、中央の布団の上で、たくましい背中がリーダーに覆いかぶさっていた。淫靡に溶けた吐息が耳に届いて、どろりとした予感が肌にまとわりつく。続く甘やかな水音に、ほむら、と愛撫するような嬌声が混ざった。くちびる同士がつながりを深めて、恍惚とひとつに蕩けあう。理性が溶けて、足が震えた。 赤い襟足が敷布に乱れて、細腕が広い背にすがりついた。くちびるや舌どころではない、二人の全身が絡みあってうごめく度に、衣擦れの音が濃密にわだかまっていく。隊長の背を掻き抱いてはだけた浴衣の裾から、長いおみ足がつるりと生えて、生白い太ももまでもがあらわになった。 下半身に血が集まる。清潔さが過ぎて、不埒なまでに艶やかな脚だった。 隊長の手が絹肌をつたって、気品に満ちたくるぶしがそうっと持ち上げられていく。爪先がピンと伸ばされて、情欲を掻き立てるようにうっとりと宙を掻いた。さっきオレのすねを確かにつついた指の腹が、ずっと手の届かぬ彼方でみだりがわしい愛欲に濡れている。艶々と潤う肌のおもてに明かりを浴びて、苛烈で生々しい色気を放つ脚が、股ぐらに誘い込んだ男をむしゃぶり尽くそうと舌なめずりをした。 目眩がした。気がつけば、あるじの媚態にどっぷりと甘やかされる男の黒い瞳が、食い殺すようにこちらを見ていた。 オレは弾かれたように逃げ出した。 ──それから、ほうほうの体で小屋へ帰った。 布団に入り目をつぶっても、楚々としたくるぶしがまなうらでいやらしく身をくねらせて、眠るどころか身体はますます昂ぶるばかりで、強烈に迸って弾けるその熱を数時間は夢中で反芻していた。 もう一度見たい、触れてみたい、あの清らかな脚にきつく抱擁されたい。美しく整えられた爪先に翻弄されたい。いたずらなそれを捕まえたなら、指先で舌先で存分に味わいくすぐって、なよやかな足裏までもみだりに穢して、可愛がって可愛がられて……。 そんな爛れた欲望で頭がいっぱいだった。……だから、忍び寄る影に気づかなかった。 覚えているのは、そこまでだ。 ***** ……どうした? 顔色が真っ青だぜ。 ああ、今頃気がついたのか。オレ、どんどん透けてきてるよなあ。足なんかとっくになくなっちゃって。化けて出ても、こうやってなくなっちまうのかと思うとさ、やっぱり美しいおみ足は生きてるうちに見せびらかしてほしいもんだよな。 待て待て、気を失う前に忠告! 隊長な、涼しい顔しておっそろしいほど悋気の鬼だぜ。最期に見た人影は、きっとあの人だったと思うんだ。リーダーの色っぽいくるぶしは命に変えても見る価値があるけどな。なんせ、こうして誰かに話したくってたまらなかったほどだから。 ま、大それた下心は抱いちゃならねえってことだ。おまえもせいぜい気をつけろよ。……聞いてくれてありがとな。 それじゃあ、おやすみ。良い夢を。 favorite いいね THANK YOU!! THANK YOU!! とっても励みになります! back 2025.10.6(Mon)
※モブ目線
おまえは、うやうやしく持ち上げられる白いくるぶしを見たことがあるか。
普段はしかめつらしく振る舞って、最低限しか肌を晒すことのない麗人の、ひらりと舞って男を誘うくるぶしを。
──違う違う。誘惑の相手はオレじゃあないさ。高嶺の花は路傍の石を愛でたりしない。ただ、石だからこそ手のひらで転がしてはいただけた。
オレはなによりあの方の、すらりと魅せつけておきながら隠れんぼしてる脚が好きでさ。裾をめくって、靴下を脱がせて、裸んぼのおみ足を一目見られたらと夢想するほど……。まあ、だから、衝撃的だったわけよ。
あの方の脚は拝むことができたけど、なまじ見ることができたばかりに、目に焼き付いて離れない。一度だって味わえず、二度と見ることもできやしない、こうも残酷な仕打ちがあるか。
ちくしょう、オレがもっと見目よく才もあったなら、あのくるぶしをものにできたのかなあ。
……気になるか? 高貴なるお方の爛れた情事、聞きたいか? へへっ。そうこなくっちゃなあ。
潜伏任務中、近くの屋敷にあの方が逗留なさるってんで、こりゃあとびきり運がいい、お顔だけでも拝めれば、いいやあわよくばお褒め頂きたい、なんて下心を抱えてご報告に上がったんだよ。そうしたら、いたのさあの人も。あの方と夜中に二人っきりで。誰ってそりゃ、尊いお方に触れることを許された男といやあ、わかるだろ。あの人さ。
そう急くなって。あのおみ足に手の届かない者同士、よぅく語ってしんぜよう。宵の肴にでも夜のオカズにでもするがいい……。
*****
月の明るい夜だった。町外れに佇む屋敷は閑寂として、赤松林の影に荘厳な姿を忍ばせていた。
オレは堅苦しい数奇屋門をくぐり抜け、長廊下を急いでいた。床板の軋みは背後の薄闇に吸い込まれていき、足裏を季節外れの冷気がなめた。
火急の用であれば遠慮は無用と聞いてはいたが、プライベートな空間を侵しているという実感が不安を掻き立てて、同時に胸を高鳴らせた。前のめりな気持ちを追って足を動かし、ようやく辿り着いた最奥の部屋の前で、深呼吸をひとつ。就寝されているかもしれないと案じていたが、どうやら杞憂だったようだ。ひたと閉められた障子の格子からは灯りが漏れて、足元に優しく落ちていた。
一枚隔てたあちら側に、リーダー……マツブサ様がいらっしゃる。きっと無防備にくつろぐ彼は、少しの驚きとともに、優しくオレを出迎えてくださるはずだ。
緊張を期待と興奮が上回り、騒ぎ立てる鼓動をおさえてこぼした声は上ずった。
「夜分に失礼します。リーダー、少々よろしいでしょうか」
障子の向こうで、人の動く気配があった。
高鳴る心音が障子紙を突き破りそうな気がした。そうして数秒、十数秒、いくら待ったかわからない。
「こんな夜更けに何の用だ」
「……!」
くぐもった声が響いた。明らかにリーダーとは別の男の、冷淡で不機嫌そうな低い声。ここはリーダーの屋敷のはずだ。困惑し、返答に窮していると、障子がざっと開いて大きな人影が現れた。
「っ……ホムラ隊長!?」
動転し、敬礼も忘れて仰ぎ見る。
紫色の髪、凛々しい垂れ目、獣のように引き締まった身体。リーダー同様滅多とお目にかかれぬ雲の上のお方だが、こうも印象的な行動隊長その人を見紛うはずはない。
ご挨拶をしなければ、と唇を開きかけて、彼の格好にぎょっとして後ずさった。はだけたというより、かろうじて身にまとったという様相の浴衣姿で、雄々しく匂い立つ胸板がさらけ出されている。目をそらすこともかなわず見つめる先で、盛り上がった筋肉を汗が伝った。唇が震える。縦框に寄りかかって腕を組みこちらを見下ろす立ち姿は、傲慢なまでに美しかった。
「用件は」
「あっ、り、リーダーにご報告がありまして……」
「マツブサ様はお休みになられている。報告があるなら私に」
底冷えのする美貌が顎を上げる。否が応でも意識させられる体格差、威圧的な態度に、身も心もすくみあがった。こんな深夜に何故リーダーの私室に、と疑問を呈することはおろか、逃げを打つことすら許されない物々しさだ。
……だというのに、オレときたら取り繕うこともできずに、震える舌に正直な欲望をのせてしまった。
「う、その、できれば直接リーダーのお耳に入れたく……」
「私には聞かせられない『報告』か? 面白い冗談だ」
くっと口端が上げられた。いよいよ縮み上がったオレの頭上へ、しなやかな上体が覆いかぶさるように伸ばされた。
「とっとと失せろ」
苛烈な瞳に射抜かれて、ぐうと喉から恐怖が漏れた。がくがくと頷いて踵を返そうとした瞬間、隊長の背後から生白い腕がにゅるりと伸びてきたのを見て飛び上がった。
──悲鳴すら出なかった。シミひとつない白蛇のような腕。隊長の脇腹に巻き付いた幽艶な細指が、男の肌をなよやかに伝っていって、むき出しの胸板にするりととまった。おどろおどろしい腕に絡みつかれながらも、隊長はまるで動じていない。眼光鋭くオレを睨んだまま立っている。
生気の感じられない手が、ぽん、と窘めるように厚い胸を叩いた。
「こらホムラ。あまりしたっぱ君をいじめるんじゃない」
「はっ。申し訳ありません」
「あっ! りっ、り、リーダー……!?」
居住まいを正して振り向いた隊長の肩越しに、リーダーの微笑が覗いた。幽霊と見紛うのも無理のないほど、生活感の浮かばぬ白肌だ。ほっと息をつく。しかし、隊長の眉間の皺に気圧されて、安堵の気持ちは引っ込んだ。
緊張に手汗がにじむ。どうしてお二人が揃っているのだろう。今すぐ引き返せと、脳内でけたたましく警鐘が鳴りだした。
「報告があると言ったね。おいで。聞かせてもらおうじゃないか」
「う、はっ、はい……」
直々にお声がけいただいてしまっては、固辞できようはずもない。
こちらを手招いたリーダーが、小鳥が羽を休めるような気軽さで、隊長の首根っこに細顎を寄せた。隆々と盛り上がった男の肌に華奢なおとがいがぺとりとくっつき、美しいかんばせが白百合のような笑みを浮かべた。
口を開けて立ち尽くす自分をよそに、あるじの媚態を当然のように享受した隊長が、柳腰に手をまわして部屋の中に引っ込んだ。伴われた痩躯も浴衣を身に着けている。それもまた着崩れていて、貴婦人をエスコートするような恭しさも、そろいの乱れた浴衣姿とくれば淫猥な仕草に見えた。
──ホムラ隊長はリーダーのご寵愛を受けている。いくらでも替えのきく我々と違って、格別有能な偉丈夫は可愛がられて当然だ。
それでも、それにしたって、さすがにこれは。
頭を振る。詮索する気持ちを唾ごと飲み下し、ええいままよと敷居をまたいだ。
「散らかっているが気にするな。ホムラと一杯やっていたのだ」
「は、い、いえ……。し、失礼いたします」
広々として品の良い和室だった。向かいの障子は開け放たれており、月を載せる薄雲に抱かれたえんとつやま、そこからなだらかに続く庭園の眺望も見事なものだったが、それよりも部屋の中央に敷かれた一組の布団が激しく目を引いた。
くしゃりとめくられた掛け布団、気怠げな皺を寄せた敷布団、そして、脇に転がった二つの枕……。夜の名残が色濃く立ち込めるそこからとっさに視線を逸らしたものの、生々しい光景は脳裏にこびりついてしまった。
そわそわと尻込みしながら、勧められるまま奥のテーブルにつく。椅子は2つきり、見回せば柱にもたれ掛かる冷ややかな面持ちの隊長と目があって、慌てて視線を伏せた。
ちょんとすねに刺激を感じた。見下ろすと、桜色の爪をのせた爪先がオレを戯れに突っついていた。真白い裸足……、リーダーの素足。瞠目し、生唾を飲む。
すべらかな足の甲、ぷくりと愛らしい血管をのせたくるぶし、ほっそりと美しい足首。一連の完璧な調和に見惚れていたら、もったいぶったように脚が持ち上げられて、すらりとしたふくらはぎが大胆に浴衣の裾からお目見えした。しらじらとしてきめ細やかな、麗しいおみ足。息を乱して食い入るように見つめていたら、組まれた足先がそっぽを向いた。
熱に浮かされた視線を上げる。脚の持ち主は頬杖をつき、蠱惑的な微笑みを浮かべてこちらを見ていた。不躾に見過ぎたことを咎めるでもなく、己の脚が視姦されるのを面白がっているかのように。
そしてまた、オレのすねをちょいと蹴った。マッチ棒のように、やわらかい裸の指の腹が男の芯を擦って火をつけたのだと思った。リーダーの背後に立ち控える隊長のくちびるが、恐ろしげな弧を描いた。
背筋が凍った。
向かいの柔和なくちびるが開かれた。
「それで」
「……あ、は、はっ! ええと。ご、ご報告します。ソライシの動向ですが、奴に仕掛けた盗聴器から言質をとりました。本日落下した隕石を採取するため、明後日の朝えんとつやまに向かうようです。い、急ぎご報告をと思い、馳せ参じました」
「ほう。隕石の存在は確かか」
「は、はい。奴は探知機で大まかな場所も把握しているようです」
「よく知らせてくれた。助かるよ」
「……! はっ、あ、ありがとうございます……!」
おひさまみたいに優しい笑顔だった。天にも昇る心地になれればよかったが、上機嫌な上司の背後から漂う不穏な気配に肝が冷えた。全身から脂汗がにじみ出る。
早急に辞そうとする心算をよそに、リーダーがついと顎を上げ、隊長が机上の瓶とグラスを手にとった。ラベルに木の実の絵が描かれた瓶がゆっくりと傾けられる。隊長に酌をさせるなど、と腰を上げたオレをリーダーの片手が制した。その柔らかな指の腹、手のひらには、ほのかに赤みがさしている。
背筋を正し、細面に視線を這わす。血の気のないように思えたが、明かりのもと改めて観察すれば、目元や頬は紅潮し、うなじなんて湯上がりのようにつやつやと火照ってさえいた。憧れのリーダーの汗ばむ素肌を目の当たりにして、まるで情事の余韻じゃないか、と下腹をくすぐった下品な考えはすぐに打ち消した。酒精に赤らんでいるだけに違いない。着衣の乱れも一組の布団も、そもそも隊長が同席していることだって、深く考えてはいけないことだ。
芳醇な香りが鼻腔をくすぐった。隊長の大きな手が無言でグラスを差し出していた。蔑むような凍てつく視線に耐えかねて、受け取る両手も感謝の言葉も惨めに震えた。
「ふふ、ナゾの実のワインだよ。晩酌でこいつをやるとぐっすり眠れる」
「は、はっ……。で、では、遠慮無く。いっ……いただきます」
「よく味わうといい。とっておきだからね」
冷たいガラスの縁に口をつける。たゆたう水面に舌先が触れても、のんきに一献とはいかなかった。向かい合う切れ長の目が、傍に控える隊長のおもてをとらえた。
「それにしても、えんとつやまか。思い出すなあ。いっとうかわいいグラエナを手に入れた日のことを……。ふ、お手製のひみつきちなんて慣れぬものを作った。まだ残っているかな」
「は、またいつかご招待いただけますか」
「もちろん。かわいいかわいいグラエナの凱旋だ」
たおやかな指が持ち上げられて、身を寄せる隊長の腹のくぼみをつうとなぞった。ころころと愛らしい笑い声が鼓膜を撫でる。生きた心地がしなかった。恐る恐る窺うと、精悍なおもてにどろりと愛を垂らしたまなこが、熱っぽくリーダーのかんばせを見つめていた。
──アクア団の奴らが隊長を『マツブサの忠犬』と嘲るのを聞いたことがある。なにを馬鹿なと聞き流していたが、今ならわかる。これは正しく忠犬だ。ポチエナやグラエナなんて可愛いものじゃない。獰猛で、牙に劣らず鋭い瞳をギラギラと輝かせ、大きく膨らむ身体をあるじにひたと擦り寄せて、「待て」が解かれるのを今か今かと待つ獣だ。
オレは、そんな恐ろしい忠犬がよだれを垂らして辛抱している目の前で、いたずらな裸足が仕掛けたちょっかいを、鼻の下を伸ばして受けとめた。そして、現在進行形で、あるじの笑顔を享受している。
喉奥へ一気に滑らせた酒は、まるで味がしなかった。血の気が引いて、震えながら置いたグラスが神経質な音を立てた。
「ソライシに隕石を拾わせたら直ちに奪取しなさい。手荒なことをしても構わん。そのまま現地でボルケーノシステムを試してやろうじゃないか。アクア団の妨害があるやもしれぬから、ホムラ、お前が指揮をとってあげなさい」
「は。必ずや最良の結果を捧げます」
隊長が恭しく頭を垂れる。慌てて追従し、「そっ、そろそろ失礼します、ごちそうさまでしたッ」と立ち上がりざまテーブルに腿をぶつけたが、もはやかまってはいられなかった。きょとんと瞬いたリーダーが「そうか。ご苦労だった」と言い終わるのを待たずに、ざりざりと畳の上を滑るように退室した。
凭れるようにして障子を開き、おぼつかない足取りで数歩進んだところで、障子を閉め忘れたことに気がついた。動悸がする。引き返そうにも、この身はすでに彼らの密やかな空間からぷつりと途切れて、薄闇にぽつねんと包まれている。
影が縫われて動けやしない。振り返ることがどうにも怖くて、ただ呼気を乱していたら。
「ん……いい子で待てたな。おいでホムラ」
「マツブサ様……」
……蜜のようにとろけた応酬が背筋を舐めた。
視界が揺れる。振り返ってはならない。ただちにここを立ち去らなければ。心臓がばくばくと暴れている。けれど、男を惹き寄せる甘い蜜に抗えるはずもなく、緩慢に振り返った。振り返ってしまった。
──あちら側、中央の布団の上で、たくましい背中がリーダーに覆いかぶさっていた。淫靡に溶けた吐息が耳に届いて、どろりとした予感が肌にまとわりつく。続く甘やかな水音に、ほむら、と愛撫するような嬌声が混ざった。くちびる同士がつながりを深めて、恍惚とひとつに蕩けあう。理性が溶けて、足が震えた。
赤い襟足が敷布に乱れて、細腕が広い背にすがりついた。くちびるや舌どころではない、二人の全身が絡みあってうごめく度に、衣擦れの音が濃密にわだかまっていく。隊長の背を掻き抱いてはだけた浴衣の裾から、長いおみ足がつるりと生えて、生白い太ももまでもがあらわになった。
下半身に血が集まる。清潔さが過ぎて、不埒なまでに艶やかな脚だった。
隊長の手が絹肌をつたって、気品に満ちたくるぶしがそうっと持ち上げられていく。爪先がピンと伸ばされて、情欲を掻き立てるようにうっとりと宙を掻いた。さっきオレのすねを確かにつついた指の腹が、ずっと手の届かぬ彼方でみだりがわしい愛欲に濡れている。艶々と潤う肌のおもてに明かりを浴びて、苛烈で生々しい色気を放つ脚が、股ぐらに誘い込んだ男をむしゃぶり尽くそうと舌なめずりをした。
目眩がした。気がつけば、あるじの媚態にどっぷりと甘やかされる男の黒い瞳が、食い殺すようにこちらを見ていた。
オレは弾かれたように逃げ出した。
──それから、ほうほうの体で小屋へ帰った。
布団に入り目をつぶっても、楚々としたくるぶしがまなうらでいやらしく身をくねらせて、眠るどころか身体はますます昂ぶるばかりで、強烈に迸って弾けるその熱を数時間は夢中で反芻していた。
もう一度見たい、触れてみたい、あの清らかな脚にきつく抱擁されたい。美しく整えられた爪先に翻弄されたい。いたずらなそれを捕まえたなら、指先で舌先で存分に味わいくすぐって、なよやかな足裏までもみだりに穢して、可愛がって可愛がられて……。
そんな爛れた欲望で頭がいっぱいだった。……だから、忍び寄る影に気づかなかった。
覚えているのは、そこまでだ。
*****
……どうした? 顔色が真っ青だぜ。
ああ、今頃気がついたのか。オレ、どんどん透けてきてるよなあ。足なんかとっくになくなっちゃって。化けて出ても、こうやってなくなっちまうのかと思うとさ、やっぱり美しいおみ足は生きてるうちに見せびらかしてほしいもんだよな。
待て待て、気を失う前に忠告! 隊長な、涼しい顔しておっそろしいほど悋気の鬼だぜ。最期に見た人影は、きっとあの人だったと思うんだ。リーダーの色っぽいくるぶしは命に変えても見る価値があるけどな。なんせ、こうして誰かに話したくってたまらなかったほどだから。
ま、大それた下心は抱いちゃならねえってことだ。おまえもせいぜい気をつけろよ。……聞いてくれてありがとな。
それじゃあ、おやすみ。良い夢を。
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