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アニホムマツ工場
アニホムマツ工場

No.19

義理の固さで釘が打てる
※リメイク版解散後


 生きとし生けるものを灼き尽くさんとした太陽が夢幻の如く消え、まったくのんきな春波がちゃぷちゃぷとオレを手招くようになった頃。

 まさに激動と呼ぶべき変化に取り巻かれて忙しなく過ごすうち、すっかり世間の賑わいから遠ざかっていたもんだから、うっかりバレンタインデーという一大イベントを素通りしてしまっていたのだった。

 そう、疎遠になっていた相手と再びお近づきになれねえかなあなんて願望を叶えてくれそうな、なんでもかんでもこじつけるには格好の一日を。
 ……なんて、カレンダーを前に肩を落とす日々を送っていたのだが。

 本日、3月14日、AM7:00。

 突然の訪問にはちょいと非常識な時間のチャイムに起こされて、瞼をこすりながら開けた扉の先には、麗らかな春空に赤毛照らされ、仏頂面にメガネを乗せたかわいこちゃんが立っていた。

「ホワイトデーだ。受け取れアオギリ」

 開口一番、そんな訳のわからんセリフを放ちながら。
 いつもの団服に七三分けできっちりピッチリめかしこんで、お前それ押して歩いて来たの?と二度見するほど摩訶不思議な、コータスほどもあるダンボール箱を載せた台車を添えて。
 見なかったことにして寝直していいかな、と思ったが、メガメガネの下のくろいまなざしに縫い止められては引っ込むわけにもいかず、しばし無言で見つめ合った。
 頬をかく。間の抜けたキャモメの鳴き声が、頭上を通り過ぎていった。薄手のスウェットでも包み込まれるような春日和、ちっとも麗らかではない表情で、唇を引き結んだマツブサがじっとこちらを睨めつけている。
 寝起きの頭をゆるゆる回す。
 「ホワイトデーだ」、事実確認に違いない。しかしながら「受け取れアオギリ」、これがどうにもいただけない。だって前者のセリフとくっつけてしまえばまるで、「バレンタインデーのお返しですよ」と言ってるみたいじゃないか。
 首を傾げる。正面でふんぞり返っているマツブサも、こてんと同じ方向に首を傾けた。
 いくつになっても驚くほど可愛い男だが、今はときめいている場合じゃないのであった。

「……オレ、あげてねえけど」
「…………もらった」
「ええ……?」

 誰かと勘違いされているのだろうか。
 マツブサにバレンタインチョコをお見舞いし、なおかつ律儀にお返しを貰えるような果報者が、このホウエンにいるとでも。
 長らく普通に対面することすら叶わなかった男が自ら会いに来てくれたというのに、青天の霹靂である。なんだか無性に悲しくなってきた。
 取り繕うこともできずにじんわり顔を曇らせていたら、なぜだか大いにメガネをズラして慌てた様子のマツブサが口を開いた。

「た、確かにもらったのだ。…………昔。一緒に、勤めていた頃」

 オレの機嫌をとるかのように、ことさら殊勝な口ぶりで。ここ数年の間、憎まれ口しか叩かなかったこの男が。
 一度、二度、瞬く。すがるような眼差しだった。
 「お前は覚えていないだろうが」、ぽつりと付け足しながら、レンズの下の睫毛がゆっくり伏せられていく。視線の先には、履きつぶしたサンダルに乗るオレのむくつけき足の甲があるだけだ。やましいことでもあるかのように、瞳はまつ毛の影に姿を隠したまま、穴の開くほどつま先を見つめている。

 ――霞んだ記憶が甦る。

 いつのことだったろう。バレンタインだ!なんて同僚がはしゃいでいたもんだから、そういうもんかと思いつつ、ただなんとなく、そう、いたって何の気なしに、売店で買った百円かそこらのチョコアイスだった気がする、そんなものを「バレンタインデーだぜマツブサ!」なんてわたしてやったことがあった。
 いいや、何の気もなかったなんてのは嘘だ。ほんの少しは浮ついていた。好きな奴を困らせない程度の、だけど少しくらいは意識してくれたらなって、ガキっぽさ極まるケチでしょっぱい打算があった、ような気がする。

「思い出した。確かにやったな。だがよお、どんだけ昔の話だよ」

 言われて頭を捻りに捻って、ようやく思い出せた程度のちっぽけな出来事だ。それにその時のマツブサといったら、嬉しそうな素振りの一つもなしに、眉根を寄せてだんまりを決め込んでいたはずだ。
 だというのに、そんな気の遠くなるほど昔の思い出を大事にとっておいたというのだろうか、こいつは。
 一歩踏み出す。くたびれたサンダルの下で、砂が乾いた音を立てた。

「バレンタインに菓子を貰ったら、一ヶ月後に返すのがしきたりだろう。ちゃんと返そうと思っていたのだ。ただ、あの頃から互いに時間がなくなって、それから、……とてつもなく長い間、我々は別の道を歩んでいたから」

 つま先から横へと逸れていった視線が、穏やかな海に向く。朝日を反射してきらきらと輝く青を眺めて、歳を重ねた双眸が眩しそうに細められた。
 あれから幾年経っただろうか。恋煩う暇もなく、相手を思い遣るより出し抜くことばかり考えて、過ぎ去った過去はもう戻らないと思っていたのに。
 クソ真面目で、ぶっきらぼうで、オレの心を惹き寄せてやまなかったこいつがあの頃とあまりに何も変わらないもんだから、一度は捨てたはずの気持ちがこうも胸を締め付ける。

「だからそれは妥当な品だ。受け取った義理に過ぎ去った分の利子を加えただけの、ただの義理返しなのだ。なにも言わずに受け取れ、アオギリ」

 台車をガラリと押したそいつの唇が、ん、と尖ってまた閉じた。
 目眩がした。義理なんてもんじゃないひたむきさにだ。そんな途方も無いスケールの人情を秘めたダンボールが、重々しく二人の間に鎮座している。
 長閑な陽光さす地に根を生やしたまま、マツブサは照れるでもなく、いっそ真摯な眼差しで、オレが首を縦に振るのを待っている。
 大きく息を吸い込んで、大仰に吐き出した。
 重苦しいそいつを重荷に感じないほど、こちらだって長年拗らせては積もらせてきた想いがある。ハイそうですかと受け取ってやるのも癪で、つっけんどんに顎をしゃくった。

「……オレは義理なんて言った覚えはねえけど」

 気の利いたセリフの一つも返せやしない、ううんオレの意気地なし。
 けれど、ちらと盗み見たマツブサは、なんとまあやはりというか、オレのバツの悪さに微塵も気がついていない様子で、盛大にメガネをずり下げていた。

「は!? ブラック●ンブラン一本に真心を込めるのかキサマは!? 冗談だろう」
「なに貰ったかまで覚えてんのかよ! お前って奴は……」
「悪いか。キサマが忘れようとも、私は……。なんでもない」

 台車の持ち手を、退こうとする掌ごと掴む。指先から伝わる熱は、なんでもなくはない温度でオレを末端から温めていった。じわり、回りこんで隣り合う。
 逃れるタイミングを奪われたマツブサは、びくりと震わせた瞳をしばらくうろつかせ、そしてようやく観念したようにオレを見た。
 威圧せぬよう、至って朗らかに見えるよう、意識してマツブサの黒い瞳をじいと見返す。

「なあ。あのアイス当たりつきだったろ。どうだった? 覚えてっか」
「ム。……1本分当たりだった」

 思わず上体を揺らして笑っちまった。そんなことまで覚えてるなんざ、意識してもらえたどころの騒ぎじゃねえな。
 奴の肩からも力が抜けて、ほっとしたように目つきが和らいでいく。

「よかったじゃねえか。交換しに行くか? なーんて……」
「そうだな。また会う時に持ってこよう」
「……マジでまだ棒持ってるのかよ」
「ん? ああそうか、有効期限が切れているかな」
「そういうことじゃなくて……まあいいや。いやよくねえな。全然よくねえわ」

 鮮やかな赤の生え際を指でそうっとなぞる。マツブサはくすぐったそうに身を捩り、ちらとこちらを上目に見やった。
 オレは今、数年前なら信じられないような近さでマツブサと寄り添っている。そう気付いたら、体の芯からぽかぽかと春がこみ上げてきた。
 ごほんと咳払いをひとつ、お返しの品を注視する。

「開けていいか?」
「ここで開けるのか」
「ああ。待てねえや」

 ニッと白い歯を見せる。メガネのつるをクイと持ち上げたマツブサが、「仕方のない奴だ」なんてこくんと頷いた。まんざらでもなさそうだ。上下した顎も、そいつにくっつく赤リブに包まれた首も、これがまあ細っこくて危うげだこと。
 関係ねえことに気を取られながら、心をはずませテープを剥いでいく。そしてダン箱の中からこれまた外箱と思しきダン箱が現れて、満を持してご対面したそれにはどでかく「ウォーターオーブン」の文字がドン!
 ……一目見ただけで、お高さが窺い知れるやつだった。

 いや。いやいやいや。
 なにこれ。なんだこれ?

「配送事故? 取り違えとかあるのな、実際」
「間違ってない。それがお返しだアオギリ」
「いやなんで? マジでなんで? ホワイトデーってこういうのだっけ」

 3倍返しなんて次元じゃあない。さっき利子がどうとか言ってた気もするが、それにしたって百円そこらの棒アイスから十数万円の家電まで成長させる利子なんざ、オレは極悪非道の高利貸しかってんだ。
 真顔を向ければ、マツブサは眉尻をへにょんと下げていた。いやいや、狼狽えたいのはこっちだぜ。

「カガリに相談したのだが、なかなか決まらなくてな。自分が貰って嬉しいものなら間違いないという結論に至ったのだが。……もしや不快だったか」
「快とか不快とか以前に仰天してんだよ。落ち着く時間くれ。タンマだタンマ」
「う、うむ……?」

 顎鬚を撫でる。ざりざり、見据える先のマツブサが、所在なげに視線を彷徨わせている。
 あいも変わらずズレてる奴だ。離れている間もまともな人付き合いをしていなかったことが窺えてなんだか寂しくなってくるが、まあ今回は相談相手が悪かった。ホムラがこのことを知れば止めてくれたに違いない、ああ無念。
 けれども、明らかにやりすぎとはいえ、オレの喜ぶものを考えてうんうん頭を悩ませて、それでようやくこれならば!と目を輝かせて購入し、せっせとここまで運んできたのだろう姿を想像すると、なるほど最高の贈り物であると頷けなくもないのだった。
 なにより、『自分が貰って嬉しいもの』ときたもんだ。
 にやーっと口端が上がっていく。「オレんち来る?」なんてお誘いを繰り出すには、あまりにおあつらえ向きの口実を含んだお返しであった。
 気付いてねえんだろうなあ。虎視眈々と己を狙う狼の住処に家電を置いてく、その意味に。
 ニコニコと頬を緩ませるオレに何を思ったか、愛しい赤毛の男もまた、にやりと悪戯な笑みを浮かべた。

「嬉しいかアオギリ」
「ああ嬉しい、嬉しいぜマツブサよ」
「ふん。借りは返したからな。せいぜい冷えた油物をチンして元通り美味しく腹に収めたりなどするがいい」
「どんな気持ちで言ってんだそりゃ」

 大の男が二人して、キャスターをごろごろ転がし歩く。玄関の段差にがつんと台車をぶつけて停止、大人しくしているマツブサの片手を惜しみながらも解放し、ダン箱の前にしゃがみこむ。
 上目遣いに見上げてみれば、逆光に目を細めるオレに負けず劣らず細まった瞳と目があった。

「アイス、当たったんだよな」
「ああ。証拠なら家に……」
「つまりオレは2本あげたと言っても過言じゃねえ。ってことはよお、お返しも2倍にならなきゃおかしいんじゃねえの?」

 どっこいせ、なんて掛け声と共に箱を持ち上げる。豪華なお値段に見合ったなかなかの重量だ。
 あんぐりと口を開けて立ちすくむ男を置いて、サンダルを脱ぎ散らかしてすたすたと廊下を進む。

「は……?……、はっ!? いや、そっ……、暴論ではないか!?」

 ようやく我に返った男の慌てっぷりが、実に耳に心地よい。くるりと見返りお顔を拝見。マツブサはドアの隙間に身を挟み、足を踏み入れてよいものだか逡巡しているようだった。
 今更遠慮する仲でもあるまいに、と微笑ましく思う己を自覚しながら、顎で誘う。

「ってことで、寄ってけよ。朝一で来といて、捨てゼリフ吐いてハイ退場はねえだろ。アオギリ様特製アクアパッツァでもお見舞いしてやる。せいぜいオレがこいつを使いこなすところを指をくわえて見てるがいいぜ」
「ぐ、ぐぬぬ……。い、いやしかし、それでは施しを受ける一方……」
「ざまあみろ。一生返しきれねえ勢いで、義理には義理を重ねてやるさ」
「そ、そうか。……それは、困ったな」

 ちっとも困ったように見えない男のかんばせが、ふわりと柔らかくほころんだ。
 そよそよどころか、男の見栄もプライドも吹き飛ばす勢いの、真っ向から対峙するには勢力を増しすぎた春一番の笑顔であった。
 思わず見惚れていると、そろりと玄関に身を滑り込ませたそいつが右手を壁につき、片足を曲げてブーツを脱いだ。初めて目にする幼い仕草に、そぞろ胸をくすぐられる。
 毛を逆立ててばかりだった野良猫をうまいこと手懐けられたような、一段飛びに腹まで撫でさせてもらったような、そんな達成感に満ちた気分だ。遅れてぐわんと、心どころか身体までもが大きく戦慄いた。
 参ったな。どんな荒波だって軽々制するオレさまが、一人の男にこんなにも酔わされちまうだなんて。

「そんじゃまあ、今日からこいつを使い倒してやるからな」
「いいから前を向け。つまづくぞ」
「ハッ、照れてんのか?お顔がゆるゆるだぜマツブサさんよお」

 なあんてはしゃいでいたばかりに、案の定腕に抱えた義理の塊をぶち当て壁に大穴を開け一悶着を起こしたのだが、それはまた今度の話だ。




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